FC2ブログ
メンショフHP "Чувствую уверенность в своих силах!"

7/2に日記が更新されていました。
(でもロシア語のみ~~。超大雑把訳です。)



「~自信を感じている~

ツールまであと2日。
6月は少しだけ休んで、ツールに向けた準備をしていた。

へーシンク、テンダム、フレチャとアルプスの主な山々(15、 16、 17、18ステージ)の下見に行ってきた。
最初のアルプスとなる15ステージ(ポンタルリエ~ヴェルビエ)はかなり重要な山頂ゴール。
17ステージ(ブール・サン・モーリス~ル・グラン・ボルナン)も決定的なステージになるだろう。
ピレネーもモンヴァントゥーも忘れることはできないが、疲労のたまった3週目にあるアルプスステージは重要だ。

チームは満足できる仕上がりになっている。
へーシンクがボクの為に走ってくれると言ってくれているけど、チーム戦術はどんどん変化していくものだから、その台詞をそのまま受け取ることはない。
許されるのなら新人賞ジャージの闘いもするだろうから。
マイヨベールもを狙うフレイレも同じだ。
フレイレはいい感じできているが、カヴェンディッシュに勝つことは非常に難しいことだ。

総合優勝については「アスタナ」が有力。
コンタドールもアームストロングもそれぞれ恐ろしい力をもっている。
でも、チームが2つに分かれることになってしまったら、アスタナはダメだろう。
そういった意味では、ラボバンクは良い感じ。

そして、やっぱり鍵を握るのはサストレ。
エヴァンスももちろん強いけれど、総合優勝の可能性は若干低い。
シュレック兄弟も優勝候補。
特にアンディの強さは本物だけど、ツールで勝つには早すぎると思う。
もし、彼がポディウムに上がったら、びっくりだ。
3~4人の選手を優勝候補としてあげたし、実際に彼らが優勝争いを繰り広げるだろうけど、それ以外にもいろんな事がおきて最終的なポディウムがきまる。

私は自信を感じる。
ジロで成功しているので、ツールでも良い結果を望みたい。
ツールの勝利は今シーズンの大きな2つの目標のうちの一つ。
フランスで戦ってくるよ!

ジロの優勝カップについてたくさんの質問をされた。
毎年新しいカップが作られていて、過去の優勝者の名前が刻まれている。
来年優勝した人がカップをもらうときには、私の名前が入ったものを受け取るだろう。
ジロの優勝カップはロシアのオリョールの家に持ち帰った。

この一ヶ月、ファンやマスコミからの、今までとは比べものにならないくらいの注目を感じた。
みんなツールでの私の活躍を期待している。
この期待は嬉しいものだ。

みんなからの応援に本当に感謝!がんばります!」



とのことです。
やっぱり、鍵はサストレ。
そうでしょう!そうでしょう!

今年こそはサストレから遅れてはなりませんね。



本日は6:55からライブで中継中で、ただ今21時過ぎ。
しかも、スタートからライブ。
やっぱりツールは違うな。
ささ・・斜め見はこのくらいにして、ちゃんと見ようーー!


2009.07.05 ただの悪い日
Menchov loses time to main rivals
CNの記事。

「ジロのチャンピオンは、ツール最初の試練でボロボロ。

デニス・メンショフ(2009年ジロチャンピオン)は、ツール初日のモナコステージで貴重な時間を失った。
総合優勝を狙う他のライバル達に比べると、1分31秒遅れの53位というのは、最もタイムを失っている。
おまけに、ゴール直前にはカンチェラーラに捕らえられてしまった。

メンショフの普段のTT能力を考えると、メカトラブルがあったのでは?と疑問に思いたくなるが、
ラボバンクのLuuc Eisenga曰く
『誰にでも起きる、ただの悪い日さ。』

しかし、ただカンチェラーラからタイム差を失っただけではない。
コンタドールから1分13秒、エヴァンスから1分8秒、ライプハイマーから1分1秒も失った。

『メンショフはここ一ヶ月レースで走っていなかったから、彼のリズムつかめなかったんだ。』
15.5kmの個人TTで、ライバル達から1分近く失うということは、ジロ、そしてブエルタのチャンピオンであるメンショフが、今年のツールにはトップコンディションで臨めていないのかもしれない。
しかし、エヴァンスが言うように、『パリへの長~い道のりの、たった15kmだよ。』という事かもしれないが・・・・。」


メンショフが優勝を狙うのであえば、目標にするのは去年のサストレの走りのはずなので、あまり心配はしていないけれど、最初の山岳ステージで遅れなきゃいいなあ~~~~。
(でも、サストレみたいな山での走りはできないから・・・TTでタイム稼いでおかなきゃなんだけどね。)
最終週まで、ひたすら、地味に、ついていくのみですね。



まったくもって今更なのですが、メンショフのジロ後の記事についてです。
気がつけば、明日からツール!
(昨日チームプレゼンも見たっつーの!気分はツールだわよ!なんですが・・・)

ジロ直後のロシアサイトに載っていた、最初のコーチであるアレクセイさんとお母さんであるタチアナさんがメンショフについて語った記事です。
(えらく、長いし、どうしても訳しきれなかった言葉などがあるので、大雑把によんでいただけると嬉しいです。)



Денис Меньшов показал Европе Кузькину мать!
「デニス・メンショフ ヨーロッパをこらしめてやったぜ!」

オリョール出身のスポーツ選手が、あの有名なジロ・デ・イタリアを征した。
5/31の日曜日、伝説のロードレース「ジロ・デ・イタリア」が終わった。
最終ステージで、選手達はローマの街を走り、我らがデニス・メンショフはリーダージャージであるマリアローザを来てスタートした。
そして、デニスはゴール手前1キロで落車したにも関わらず、ダニーロ・ディルーカを引き離すことに成功した。


ファンファーレが鳴りやんだとき、デニスは故郷のオリョールへと向かった。
そこで彼を待っていたのは、彼の一番のファン達である、母、妻、妹(もしくは姉)、3人の子供達、最初の自転車コーチだった。
故郷に帰ると、デニスはいつも彼の恩師を自分のダーチャ(ロシアの別荘)に招待し、ともにシャシリク(ロシアのバーベキュー)やそりを楽む。
人生について語り、彼の教え子の勝利と健康に乾杯するのだ。


「大きな事をするのか?それとも農夫になるのか?」

デニスは11歳の時に地元のサイクリングクラブ「Орленок(鷲の子供という意味)」でロードレースを始めた。
子供の頃からスポーツが大好きだったけれど、ロードレースに対して、サッカーに夢中になるような、そんな特別な魅力というのは特にはなかった。
しかしコーチは「彼みたいな少年はどんなスポーツであってもきっと成功する。」と考えていた。

(ここからのコメントは全て、最初のコーチ:アレクセイ・アレクサンドロヴィッチ・アフォーニンさんのものです。)
「その当時、サイクリングクラブに少年達を集めなければならなかったんだ。
10番目に訪れた学校でデニスと出会い、地元の方がスポーツマスターである私と話すよう彼にすすめてくれたんだ。」

彼はクロスカントリースキーで学校まで通い、スキーを乗り回し、陸上競技もこなしていた。
最初のレース直後から「この少年はものになる」とコーチは思っていたのだが、デニス自身は一目でロードレースに恋に落ちたわけではなかった。

「最初の一年はまったくダメだったんだ。
そして、彼は釣りに夢中になってしまって、ほかのスポーツは目に入らなくなってしまったんだ。
私は彼の祖父と祖母のところへ行ってこう言ったよ。
『もし彼がスポーツを辞めてしまったら、農夫になってしまいます!』とね。
彼の祖母はとても厳格な女性だったんだ。」

この言葉は11歳の少年にとって厳しい物だったのだろうか?
その後、デニスは熱心に自転車のトレーニングをするようになった。
彼が最初に乗った自転車は伝説の自転車「ハリコフVZ(ソビエト・ウクライナ製自転車)」だった。
1994年にはイタリアの自転車は輸入されていたのだが、オリョールの少年にとって輸入自転車は夢のまた夢のものだった。

将来のスターは最初のレースに向けて熱心にトレーニングを積んでいた。
冬は森でのクロスカントリースキー、バーベル上げなどの筋力トレーニング。
夏は自転車に、サッカーやバスケットボールといったスポーツも行った。

「彼は子供の時から非常に忍耐強い子供だったよ。
とにかく長時間自転車に乗らせていたね。
私たちは普通、車で子供達の伴走をするんだが、デニスには時々、彼の自己責任で好きなところまで走らせたよ。
「行け!」という言葉をほかの選手たちよりも多く言ったと思うよ。
そんなとき、70~80キロは簡単に走っていたよ。」

彼の最初の重要な勝利は、ロシアジュニア選手権での優勝だ。

「デニスは私の顔なじみのコーチ、ユーリ・ユーリ・デヴェニンの目に止まり、彼からチェスカ(軍隊系のスポーツクラブ)に招かれたんだ。」

このチーム時代、1996年ソチで開催された成年向けステージレースにまだジュニアだったメンショフは出場し、なんと優勝した。
1999年にはスペインチームのバネストと契約し、現在はオランダチームのラボバンクに在籍している。

ところで、大多数のスポーツ選手とは異なって、デニスは食事制限をまったく気にしていない。

「彼は何だって好きなように食べているよ。」
デニス曰く『カロリーは運動すれば消費されるからね。
私は妻のつくってくれたフライドポテトが大好きなんだ』ってね。」

世界的有名人であり、過去に2度もブエルタ・ア・エスパーニャを征しているデニスは故郷の学校を助けるために、子供達に役立つ物を送る活動もしている。

「彼は私たちのことを忘れたりしないんだよ。」

「さあ、私は彼の応援に行かなくては。失礼するよ。私の子供が待っているからね。」
といってコーチは車に乗り込んだ。
このインタビューを行った日は、ジロ・デ・イタリアの最終日前の土曜日だった。


「オリョールのほうがスペインよりもいい!」

3週間のレース中ずっと、デニスのお母さんであるタチアナはいてもたってもいられない。
彼女は夜になると胸をドキドキさせながら、レース結果を確認し、そして翌朝もう一度改めて調べなおすのだ。

(※ここからのコメントは全て、デニスママのタチアナさんのものです。)
「今週は全然食べられないのよ!緊張しちゃって。」

デニスの部屋にある家具は優勝カップやメダルで飾られている。

「ここにあるのはジュニア時代のものだけよ。この部屋に他の人は入れないわ。」
といってタチアナは微笑んだ。

なぜ、目もくれなかったこのスポーツを彼は選んだのですか?という私たちの質問に、タチアナは肩をすくめた。
「私と夫は、子供達には学ぶべき何かが必要だ、とは考えていたの。
でも、ロードレースについては、まったく疑う事はなかったわ。」

しかし、今現在、なぜ彼は限界まで走っているのでしょう?
そんなにまでして走ることは必要ですか?
そして、彼は幸福だと思いますか?

「一番大切なことは、彼が後に後悔しないことだと思うわ。」

タチアナは、30年間、地元のデパートで働いている。
子供の頃からスポーツが好きで、自転車や、馬、スキーをのりこなした。
デニスが子供の頃の自転車といえば、小学校の頃、いとこからもらった大きすぎる三輪車が最初で、「Орленок」の時にはハリコフVZがすでに登場していた。

この15年間、家で生活する時間はほとんどなかった。
招集されては帰って来て、そしてすぐレースに向かう生活。
しかし、学校を休むことはなかった。

「彼は昔から記憶力がよかったわ。
例えば、詩なんかは、すぐに覚えてしまっていて、私も夫もびっくりしたものよ。」

優れた記憶力と明敏な知力は、彼のキャリアにとってとても役立つものだった。
こういった事をみても、彼にとって難しいことはあったのでしょうか?

「全てのレースはただ肉体的にというだけでなく、精神的にもとてもストレスのかかるものなの。
チェスの名人みたいに、全ての動きを計算しなければならないの。
自分の走りからライバル達を引き離すにはどうやったらいいのだろう?とかね。」

デニスはまた、外国語もすばやくのみこんだ。
学校が終わったあと、自由にフランス語で話す事ができる環境があり、外国へ呼ばれた時には、数年前からスペイン語を勉強していた。
デニスがスペインへ行って、既に10年となる。

「彼らはフランス国境にあるパンプローナに家を借りているの。
そこに、奥さんと子供達と住んでいるわ。
でも、彼らはオリョールにも住まいを持っているの。
メンショフと奥さんは故郷の街で出会ったの。
会計士をしているんだけど、いつも家族のために一生懸命しているわ。
レースから帰って来て、ナダーシャと会ったの。そして結婚したのよ。」

30ちょっと過ぎという年齢にしては、デニスは子だくさんのお父さんだ。
一番上はイヴァン6歳、一番年下はアガタ2歳半。
(※真ん中にアレクサンダー君4歳もいます。)

「彼らはパパの熱狂的なファンなのよ。
まだ赤ちゃんのアガタですら、レースの後に携帯電話をひったくって言うのよ。
『パパに電話して!!』って。」幸せそうにタチアナは話す。

しかし、ゴール直後のデニスは、すぐにジャーナリストやコーチ、医師、ファンに取り囲まれてしまう。
ようやく数時間後に妻と母に数分電話できるだけだ。

「彼は私たちにはレースについてほとんど話さないのよ。」とタチアナはため息をつく。
「聞いてみたいわ。彼自身どう思っているのかをね。
でも、全てはうまくいっているわ。
中継中の彼の表情をみていればね。時々難しい事もあるけれど。」

タチアナによると、デニスはずっとスペインに住むつもりではないのだという。
外国で働いて、ロシアに住んでいるのである。
ラボバンクでの関係はうまくいっているが、結果を出すことが必要だともタチアナは言う。


デニスは数日自由にできる時間があると、オリョールに帰ってきては走る。
だいたい秋頃や、オフシーズンで月に3~4日くらい。
その時デニスはコーチや友人達と一緒にお風呂や狩りを楽しむ。
シャシリクのためにみんなでドライブもする。

「でも、いつだってトレーニングのことは忘れないのよ。」

デニスが走るとき、家族はみんなでソファーに座り、そして祈るのだが、これまでのところ全てはうまくいっている。

「私はいつもデニスに言うのよ。
『ヨーロッパの連中をこらしめてやりなさい!』ってね。」
タチアナは笑いながら話した。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんというか、大らかなお母さんが素敵。
「ヨーロッパの連中をぎゃふんと言わせてやんなさい!」なんて。
ロシアのどんと来い!お母ちゃんなんでしょうね。

当時のソビエトというロードレース選手になるにはあまり恵まれない環境にいて、ここまでこれるには、最初のコーチや家族、友人達の応援なしにはとうてい無理だったでしょうね。。。
今でこそ、ロシアも変わってきていますが・・やはり当時は全く違う世界だったと思います。



ささ。
いよいよ明日からはツールです。
ツールの話題もいろいろあるのに、全然手が回らない~~~。
ぎゃぼ~~~(古い・・・)。



とりあえず、
カルペツ&メンショフ、ベンガ!
別府フミ&アラシロ、がんばれ!
フォイクト&ブルセギン、アレ!

あああ~こんな事いっててもしょうがない・・・。
すばらしいツールを待ってますよ。みなさん。


2009.06.16 メンショフ家
気分はいよいよツール!というこの時期ですが、ジロ優勝で、ロシアサイトにメンショフの記事がいくつか載っているのをみつけたので、ちょっとづつご紹介です。

Денис Меньшов показал Европе Кузькину мать!
「デニス・メンショフ ヨーロッパをいたい目にあわせてやったぜ!」
(なんだか、すごいタイトル~~)

内容は子供時代の話や、少年時代の監督やお母さんのコメントなどなど。
詳しい内容は後日載せられたらと思っているのですが、今まであんまりインタビューなどになかった(ような気がする)家族の話題を主に。

メンショフと子供達
子供達かーわーいーい。

・イヴァン君6歳に、アガタちゃん2歳半、そしてアレクサンダー君4歳。
(アレクサンダー君の年齢が間違っていたので、訂正しました。)

・男の子2人に女の子1人のお父さんであるメンショフさん。

・会計士をしていた奥様のナダーシャさんとは地元オリョールで出会ったそう。

10歳のメンショフ君とお母さん
お母さんのタチアナさんは・・いかにもなロシア美人だ!!

・お母さん曰く
「あの子はスペインにずっと住むわけじゃなくて、いつかはオリョールに帰ってくるわよ~。」

「このまま、ずっとスペイン在住かな~」といっていたカルペツとは対照的だ。苦笑。





そしてもう一つ。
こちらは、ジロ最中の5/25にアップされたもの。
Велогонщик Денис Меньшов: "Моя семья в "Феррари" не помещается"
「ロードレーサー デニス・メンショフ 私の家族はフェラーリには乗りきれないよ!」
(これもなんか、すごい~タイトル。苦笑)

気になったものをいくつか。

・ラボバンクでは、チーム唯一のロシア人:ディミトリー・コゾンチュクとルームメイト。
・食事やマッサージの後、ロシア映画をみたりすることもできて、最高!
・ディマ(ディミトリー・コゾンチュクの愛称)はオランダ語が完璧なんだ。


・「もしあなた自身がグランツールのためにチームをつくれるとしたら、誰を選ぶ?」という質問に
・ロシア国家からの要望や、友情という点から考えると、ロシアチーム「カチューシャ」のリーダーであるウラジミール・カルペツだね。
・あとは、今のチームから誰かかな。2~3人のスペイン人も確定だね。

(おおお!お友達チョイスでいの?笑。でも、信頼をおける関係がチームの一番の要だから、カルペツ選ばれて良かった良かった。)


・「ロードレーサーは特別な階級の人?それとも普通の人?」
・普通の人だと思うよ。
・私はいつも歩いてスーパーマーケットにいくよ。フェラーリでは行かないよ~。
・だってフェラーリには子供達全員が乗れないからね。
・彼ら用の3台の自転車もあるしね。

この下りがタイトルの内容なんでしょうね。



あくまで普通の人であり、普通のお父さんであるメンショフが回間みられる、ほんわか系インタビューでした。
そういや、このジロまで、奥さんも見たことなかった。
レース以外についてのインタビューって少ない気がするし。
(その前にメンショフのインタビュー自体が少ない。苦笑)


いつになるかわかりませんが、自転車に出会った子供時代の話などいろいろあったので、ツールまでには訳しきれれるよう頑張ります~。
デニス・メンショフHP ロシア語版が更新されていました。

ファンへの熱い感謝の思いが綴られています。

『ファンのみんなへ

みなさん、こんにちは!
ジロで優勝した瞬間から一週間が過ぎていますが、全く自由にできる時間はありませんでした。
でも、このサイトに来て、とってもとってもたくさんの、みんなからのメッセージを読みました。
全部のお祝いの言葉やみんなの希望を読んで、とにかくいいい気持ちです。
私にはとてもたくさんのファンがいると知って、さらなる偉業を成し遂げたい気持ちでいっぱいです。

ジロの最終ステージで、みんなをすっかり神経質にさせてしまったという事はわかっています。
でも結果は私の勝利でした。
みんなからの信じられないくらいの暖かい言葉に、本当に感謝します。
これは全て新しい成功へのエネルギーとなるはずです!

私は今オリョールの家にいますが、明日にはヨーロッパに戻って、ツールの準備をするつもりです。
もちろん、しっかりと休養しないと良い結果にはならないですが、状況は良い方向に向かっています。
困難なことを前にして、弱音を吐く必要なんてないのですから。

本当にありがとう!幸運を祈ります! デニス。』


感動しきりのメンショフさんのようです。
ぱったり止まっていたHPでしたが、ジロ前くらい(?)から復活し、この度、トップページの写真も更新されてました。

しかし・・・・写真コーナーは未だ更新されず・・・。
ジロも2008年のサヴォやんと握手をするメンショフって・・・・。

早く、マリアローザのフォトギャラリーを待ってますよ!



そして、ウィキペディアネタもうひとつ。

『この日(最終日)着用していたタイムトライアルスーツについて、「(落車で)汚れていたしボロボロだったから捨てようとしたら、妻が"だめだめ!記念にしましょう"と言って僕から奪い返して隠してしまった。おかげであの服は救われたよ」』

捨ててしまうメンショフもらしいといえばらしいし、「ダメダメ!」と止める奥様もかわいらしいな~笑。